皆さんのお子さんは音楽が好きですか?

音楽の授業と言えば…

・リコーダーや鍵盤ハーモニカをひたすら吹かされる。

・みんなで同じメロディだけを演奏させられる。

・耳を塞ぎたくなるような音を急に出す男子。

・ひたすらチャルメラばかり吹く子供。

・ピアノの前に来るとエリーゼのためにを弾く女子。

・とにかく音楽室に置いてあるタイコを力いっぱい叩く男子。

小学校あるあるですね(笑)私は小さい頃から音楽に慣れ、中学校の時は吹奏楽部に入っていたので教員になった時に音楽の授業ができることを楽しみにしてました。しかし、どんなに音楽の授業に自信があっても音楽の授業を持たせてもらえなかったんです。

そうです。音楽専科がいたのです。

音楽専科は音大出身の女性がなる場合が多いです。昔は「音楽は女がやるものだ」という思い込みがあったことが影響していると思います。私も小学校時代、バイオリンを習ってるというだけで

「お前は女か〜!」

とさんざん野球部の友達にバカにされた事があります。まあ、そいつは中学時代に球場で応援していた吹奏楽部の私に「あの時はごめん」と謝りに来ましたが(笑)

とまあ、これくらい音楽=女子という偏見は少なからず令和になっても変わらないのかもしれません。しかも音大出身の人はだいたいプライドが高いので子どもたちとうまくいかない場合が多いです。きっと小さい頃からピアノが上手に弾けたので音楽のできない子どもの気持ちがよくわからないのでしょう。

もう一つは学級担任を持つ経験がほとんどないために子供たちのちょっとした心の動きがよくわからないない人が多いです。

子どもがふさぎ込んでると「ちゃんと起きなさい!」「やる気がないなら教室に帰りなさい」などと平気で言う人がまだいます。なぜこの子はふさぎ込んでいるのだろうか、という視点に立てない音楽教師はそれこそたくさんいます。

そんな中で子どもたちは音楽の授業を受けています。子どもたちは頑張っているんです。お子さんが「音楽の授業楽しいよ」と言ったらそれだけでまずは大当たりです。喜んでください。

学級担任は「自分から希望して担任をもつ」という場合と「持ちたいのに担任をもつことができない」という場合があります。

私は音楽専科のいる学校ばかりを経験してきたので、特別な事情でもない限り音楽の授業を持つことが出来ませんでした。

音楽専科がいる学校で音楽の授業をするためには①自分から音楽専科になる。②音楽専科がダメだからあなたが音楽やりなさいと校長に言われる。のどちらかしかないのです。どうしても音楽の授業がやりたかった私はまず①に挑戦しました。

そんなにピアノの弾けない私が音楽専科を自分で希望したのです。

中学生の時から吹奏楽をしていたとはいえピアノの経験はほぼゼロに等しい素人です。またギターもそんなに弾けるわけでもなくもちろん音大にも行っていません。

ただ私には人にはない特技がありました。実は大学生の頃からキャンプのお兄さんをしていたので、ギター一本で子供たちを躍らせたり歌わせたり楽しませたりすることができました。ギター1本さえあればどんなことでもできるという自信だけはありました。

授業はどうだったかって?自分で言うのもなんですが…

大成功でした!

ピアノは得意な子が進んで弾いてくれるし、今の時代音源なんていくらでもあるから、もはや教師が伴奏する必要なんてないんです。音楽専科は3年間だけでしたが、その後の私の教師人生に大きな経験を与えてくれました。しかし何年も教師をやっていると②のような状態になっている状況に出くわすことが何度もありました。

さて、②のようになっているということはちょっと問題です。しかし、校長がそこまで困っているということは、学校がもうどうしようもない状況になっているということです。

・授業中おしゃべりばかりしている。

・楽器がよく壊される。

・音楽室から離脱する子が多い。

など、子供たちは音楽に対して良く思っていません。「どうせリコーダーばっかりふかせんだろう。俺たちは楽譜も読めないよ。つまんねえから音楽室行かねー!」こんな言葉が聞かれるようになります…

結論から言うとこういう子たちも私が音楽を受け持つとみんな音楽好きになっちゃうんです。好きな教科ランキング第1位はだいたい音楽になります。

不思議ですよね。

ではそんな私の音楽の授業に対する考え方を以下のように述べていきます。

私の音楽の授業に対する考え方は一貫して次の通りでした

①好きな楽器をやれ

②楽譜が読めなくてもいい

③やりたくなったら参加しろ

こうすることで子どもたちは口々に「音楽、楽しいよ!」と言いながら音楽室に行くようになりました。

「楽しくなければ音楽ではない。苦しかったら『音が苦』だ」が、我が中学校の吹奏楽部顧問の先生の言葉でした。その先生はわたしが中3の時に亡くなってしまいましたが、私の心には先生の教えがずっと残っていました。

では、具体的にどんな授業をしたか…

その話はまた別の記事でご紹介します。