一体誰がリコーダーを吹かなきゃならないと決めたのでしょうか。小学生ならリコーダーを吹かなきゃダメだと決まっているのでしょうか?文部科学省が出している小学校学習指導要領音楽編にはどこにもリコーダーだけをさせなさいとは書いてないのです。
「簡単な旋律楽器を使って簡単な旋律を演奏することができるようにすること。例えばリコーダーを使用する」などのようにいかにもお役人らしい曖昧な書き方をしているのです。
旋律楽器とは一体何でしょうか?ほとんどの楽器では旋律は演奏できますよね?旋律とはメロディのことです。だったら旋律が演奏できるのであればどの楽器でもいいよと子どもたちに言えばいいと思います。
子どもたちは「木琴みたいなのは良いのか」とか「先生がよく弾いてるギターもいいの?」とかやってみたかった楽器をたくさん言い始めます。もうこうなったあれもやってみたいこれもやってみたいとなるのは子ども心でしょう。
もちろん全てOK。
そうやって私は音楽室を開放しました。再現性と言うのは人間の本能なんでしょうか。自分が聞いた好きなメロディを楽器で再現してみたいと思うのは人間の本能なんですね。このやり方にくだらねぇと言った子どもに出会ったことがありません。それなのに他の教師が楽器を触らせないのか私にはよく分かりません。
よっぽど音楽の経験がある人ならいざ知らず、ほぼ音楽に触れていない人は急に楽譜を渡されてもちょっと苦労するのではないでしょうか。それぐらい楽譜には専門性が必要です。その楽譜にどれほどの意味があるのかと思います。
漢字は書けないと頭ごなしに叱りつける人もいったん楽譜になると読めなくても何も言わなくなる。どうせ読まれないなら楽譜は自分で作ることにしました。実は授業の中においては編曲は自由です。行事など対外的な場合は許可が必要な場合もありますが、授業であれば問題ないと言われました。(それでも不安な方は著作権協会にご連絡を)
私は自分で楽譜をつくりました。おそらく教師人生の中で編曲をした曲は200曲を超えると思います。今は「finale」という素晴らしいソフトがあるので簡単に楽譜を作ることができます。つまらない研修出てる暇があったら楽譜を作る練習をしたらどうかと思います。
そして最後はやっぱり意欲ですよね。何故かと言いうと子どもたちは帰属意識が非常に強いので、自分だけがやらないとかできないということに対しものすごく敏感になります。特に高学年の場合は。
簡単な楽器ならできそう。簡単な楽譜なら僕にも参加できそうと言う意識を植え付けてあるので誰でも参加していいよと言った時に俺は参加しないと言う子はほとんどいません。ほとんどと言ったのはもちろんいるからです。
私はそういう子は認めています。でも教師がそういうスタンスでいるということに安心してくれるので、夏から参加するとか秋から参加するとかそういう形で大体は参加します。そうこうしているうちに私の音楽の授業保護者からも人気の一大イベントへとなっていくのでした。
中には一年間の授業だけでメチャクチャドラムが上手くなった子もいます。またある子はみんなの演奏に合わせて踊りました。最初から最後まで全音符だけの子。それでもやっぱりリコーダーを極めたいという子。吹奏楽部のある学校では管楽器も認めました。
それはもう毎回の音楽の時間がライブ、コンサート、スタジオ録音状態。もちろん教科書もやるし、音楽鑑賞もします。ていうか、私も子供の頃からバイオリン、ピアノを習っていてオーケストラには少しうるさいので鑑賞はしっかりやります。
ベートーベン「運命」モーツァルト「アイネクライネ」ドヴォルザーク「新世界」チャイコフスキー「序曲1812年」ラヴェル「ボレロ」
子どもたちも語れるようになります。なんたって放送委員会になった子たちが上の曲を給食、掃除の放送で流しちゃいますから(笑)何でも好きになれば子どもも好きになるんです。