とにかく学校は制限が多すぎる。時間、決まり、持ち物…「体操着は指定のものじゃなくちゃいけない」とか筆箱の中身は「鉛筆3本、赤鉛筆1本、消しゴム一個、しかもキャラクターがついてるのは禁止」とか。持ち物くらい自分で考えられますよ。持ちものが多すぎてなくす、取られる、友達に貸したのに帰ってこない…さまざまにトラブルはあります。そんな事は想定内です。
いいものを買ってもらって、友達に自慢しちゃったらそりゃ取られますよ。誰だってうらやましくなりますからね。
そこで子どもが考えるんです。「あぁ私自慢しちゃって嫌われちゃった」「これってヤバかったのかな?」「私だけ違う体操着着たらなんかみんなから冷たい目で見られちゃった」そうやって子どもたちでお互いにこれぐらいにしとこうっていうルールが生まれるのです。
周りが騒げば騒ぐほど学校は制限を多くしてきます。曖昧な態度を学校が取れば「持ち物を学校が指定してくれ」という保護者と「何持って行こうがこっちの勝手じゃないか」という保護者の間に立って右往左往します。
でも私のクラスは違います。もちろん学校のルールを破る事はしませんが、ルールがなければ基本的に自由です。保護者からクレームが来たことは一度もありません。
よく「シャーペン禁止」とか言いますけど、シャーペンだろうが鉛筆だろうがはどっちでも構わない。そんなものはどっちだっていいんです。子どもを信じてあげればいいんです。シャーペン一つで何時間話し合いしてるんだと思います。
時間の無駄。
私は基本的に子どもを自由にします。自由に生きることが子どもにとって大切だからです。以下のものも自由にしました。
①係の人数制限(黒板係3人とか)
②朝の会のスピーチ
③日直がよくやる「静かにしてください」というセリフ
④体育の時に背の順でペアになること
⑤宿題プリント&漢字ドリル
⑥宿題でやる音読
⑥音楽の時間はリコーダーという常識
クラスが成熟してくると次のようなこともできます。
⑦給食当番すべて自由
⑧掃除当番・掃除場所の自由
⑨学習内容の自由
特にこの掃除当番の自由は面白かったです。子どもたちに学校の特定のエリアを指定してその中ならどこを掃除しても自由ということにしました。
大人だって同じですよね。「あれやれ!これやれ!」と言われたらやる気なくなりますよ。
宿題はもはやなんのためにやってるのか分かりません。宿題やったところで子どもたちは学ぶことを好きになりません。学校で8時間も席に座らされてさんざん漢字書いてきたのに、家でも「やれ!」って言われたら勉強嫌いの子が育つのです。
まずは子どもを信じることが大切だと思います。子どもは必要な事はやめろと言ってもやめません。そのうち掃除も給食手伝いも自主学習も全て率先してやりました。必要なことと理解した時から。
教育は「本質を教える」ことが大切。本質さえ子どもが理解すれば後は枝葉なのです。
鉛筆かシャーペンかではなく、「文章を通して何を伝えるのか」を追求する授業をしていれば子どもたちは文房具トラブルなんかしてる場合じやなくなります。何を使って書くのか、ではなく自分のどんな思いを何を使って伝えるのか、です。その中で漢字が必要だと子どもが思えば、必然的に漢字を使います。漢字の宿題は必要ありません。
清掃活動の本質さえ理解すれば「掃除当番をサボる」という言葉がなくなります。「掃除の時間」という概念もなくなります。「掃除」ではなく「整理・整頓・清掃」の本質を子どもたちが理解します。
それを子どもに教えられるのが本当の教師だと思います。