教師という仕事にのしかかる重圧

「誰が悪いのか?」
この問いは、教員であれば一度は心に浮かぶものではないだろうか。保護者か、子どもたちか、教育委員会か、それともメディアなのか――だが、こうした問いを立てたところで、何も解決しないことは分かっている。それでも、原因や責任を探さずにはいられないのが人間だ。

教師という仕事には、いつも重いプレッシャーがついてまわる。子どもたちに正しい知識を伝えることが求められており、間違いは許されない。特に社会科を担当している場合、その重圧はひときわ強くなる。税金の使い道や政治の方向性、国際情勢、さらにはSDGsの賛否に関する内容など、幅広い知識が必要とされる。これらのテーマは一つの正解が存在するわけではなく、時代や立場によって見方が変わるものだ。しかし、教員が自分の見解を述べた際、それが世間一般の価値観やメディアの意見と異なれば、たちまち批判の対象になる。

例えば、戦争についての授業中、もしメディアと違う発言をしてしまえばどうなるか。即座に悪者扱いされることは想像に難くない。教員は個人的な意見を自由に表現できる立場にあるわけではないのだ。メディアに寄り添った意見でなければ、SNSなどでつるし上げに合うこともある。こうした環境下では、いつも「正しい言葉」を選び続けることが求められ、それが精神的な負担となっていく。

見えない敵と戦う日々

問題は批判が目に見える形でやってくるだけではない。教員たちは、常に「見えない敵」とも戦っている。それは誰から攻撃されるか分からない、という不安だ。保護者の中には、電話で怒鳴り声を浴びせてくる人もいれば、連絡帳に延々と苦情を書き連ねてくる人もいる。中には、職員室に直接押しかけてくる人や、SNS上で密かに誹謗中傷を行うケースもある。どこから、いつ、どのような形で攻撃を受けるか分からないのだ。

ただ、本当にすべての保護者が攻撃的なのだろうか?実際には、多くの保護者は子どもたちの成長を願い、学校や教員を支えてくれているはずだ。それなのに、なぜこんなにも恐れてしまうのだろう。もしかしたら、まだ起きていないことを過剰に恐れているだけではないか――そう思い始める。

恐れているのは世間の目

教員たちが本当に怖れているのは、「世間の冷たい目」なのだ。
「先生のくせに」という言葉が、その象徴的なフレーズだ。
「先生のくせに焼き肉を食べている」「先生のくせに遊園地で遊んでいる」「先生のくせに休暇を取っている」――これらの言葉は、実際に誰かから直接言われたわけではない。それでも、教員たちは世間からそう見られていると感じてしまうのだ。誰かが陰で笑っている、そう思ってしまう。その「声なき声」に怯え、自分の行動を制限してしまうのである。

ごくたまに、直接的な言葉として聞こえてくることもある。子どもが熱を出したので幼稚園にお迎えに行こうとしてバスに乗ったときのことだ。保護者と思われる男性から「教師のくせに、こんな時間にバスに乗っているなんてどういうことだ?」と大声で言われたことがある。教師には子どものお迎えに行くことすら許されないのか・・・そう思ってバスの中で泣きそうになったことがある。いや。そうじゃないはずだ。そんな言葉を投げかけてくるこの人は、教師個人ではなく、「教師」という存在全体を責めているのだ。私は何も悪くない。

他の教師の不祥事が自分に重くのしかかる

こうした世間の目は、さらに理不尽な影響を与える。全国で起きた教員の不祥事が、まるで自分の責任であるかのように扱われるのだ。例えば、どこかで教師が飲酒運転で事件を起こせば、それが「私の不祥事」として見られる。あるいは、個人情報を含むUSBを紛失した教師がいれば、それも「私の管理不足」として影響してくる。教師という職業全体がひとつのイメージとしてひとくくられにされ、全国の誰かが起こした過ちが、自分の評価に影響を与えるのである。

「そんなのおかしいよな……」
そう思うこともある。自分は自分だ。他の誰とも異なるやり方で教育に向き合い、学級経営を行っている。それなのに、なぜ全国の教員たちが起こした出来事まで背負わなければならないのか。この理不尽さに、教員たちは心をすり減らしている。

風潮を変えるために

それでも、私たちはこの風潮を変えるために動き出している。ポケットスクールという新しい取り組みを通じて、教育現場に対する世間のイメージを改善しようとしているのだ。メディアを駆使し、インフルエンサーとも協力して、教師に対する偏見を少しずつ変えていくことを目指している。

確かに、今の状況は厳しい。けれども、諦めてはいけない。夜明けは必ず訪れる。教員たちがより自信を持ち、安心して教育に専念できる未来を実現するため、私たちは行動を続けていく。

あなたも、どうか自分を信じてほしい。あなたのように努力し、子どもたちのために真剣に向き合っている教師は、それほど多くはない。世間の目や他人の不祥事に惑わされることなく、堂々と自分の教育を貫いてほしい。私たちはあなたを支えていく。その日が来るまで、もう少しだけ踏ん張ってみよう。

あなたは一人ではない。