私は辞職を決意したのが51歳。働き盛りバリバリの年齢です。学校の中で言ったらこの年齢はそろそろ副校長か教育委員会に声がかかってもいい頃。指導主事になり、学校訪問を行い若い先生たちに未来の学校を作っていく力をつけていく年齢です。私の同い年の仲間たちが次々に管理職になったり教育委員会で指導主事になったりしています。その活躍に心から喜べない自分がいます。それは管理職や指導主事になってしまったら子どもたちから離れてしまうと言う事実があるからです。

私は子どもたちと一緒に授業を作ったり学級を作ったりするために教師になりました。その思いは教師になってからずっと変わりませんでした。私の大好きな子どもたち。子どもたちがいとおしくてたまらないんです。子どもたちと離れるくらいなら私は管理職にはならないと思ってずっとこの仕事を続けてきました。

しかも35歳の時に一度教師を辞めて別の仕事で働くうちに、どうしてももう一度教師に戻りたくてやっと戻ってきた過去があるだけに、学級担任への思いはひとしおでした。私は一生教壇で授業してそして教壇で死ぬんだと思っていました。

その私が退職を決意しました。私の心を一番大きく動かしたのはコ◯ナ騒動です。このコ◯ナ騒動さえなければ私は65歳までこの仕事を全うし、本来の思いであった教壇で死ぬと言う自分本来の願いを達成したでしょう。コ◯ナ騒動は学校の中に様々な爪痕を残しました。私が命をかけてずっと取り組んできた様々な大切なものを奪っていきました。

一つ目は歌。

歌は心を一つにしてくれます。そして歌は明日への希望です。同じ歌をみんなで歌い、そしてその思いを感謝に乗せて聞いている人に伝える。たくさんの拍手をもらい、そして自分はここにいていいんだと子どもは思うんです。

その歌が奪われた。私はコ◯ナ騒動の中2回6年生を受け持ちました。その2回とも卒業式の歌は歌ってはならないと言われました。いや、正確に言うと「歌ってもいいけど、もしクラスターが起きたら教育委員会ではなくお前のせいだから空気を読んで歌うか歌わないか考えろ」と言う趣旨の通達が来たのです。

この通達に驚きと同時に悲しくなりました。個人に責任をなすりつける気なのかと思いました。教育委員会は教師も子どもも切り捨てたんです。子どもたちにとって歌は大切だからこういう環境で取り組んでほしいとかクラスターが起きてもみんなで一丸となって守るからしっかり練習してほしいと言われればどれだけ安心できたでしょう。しかしそうではなかった。

次は給食です。

子どもたちは本当に給食を楽しみにしています。4時間目が終わってみんなが「あーやっと給食だ〜」と言って笑顔になる瞬間が私は大好きでした。みんなで食べるものを運び、みんなで分け合い、そして机を寄せあっておしゃべりしながら給食を食べる…それが私が好きだったんです。

しかし、コ◯ナは根こそぎその風景を奪いました。誰もしゃべってはいけない、向き合うこともいけない、おかわりは先生が一人ずつ配らなければならない、地獄のような風景です。黙食は子どもたちの心を壊しました。 

そして教職員の負担を一気に増やしました。おかわり対応があるので食事をする時間がなくなりました。お昼をほとんど食べずに真夜中まで働く日々が始まったのです。

なぜ子どもたちの手は汚れていて私たち教職の手は清潔なんでしょうか。私たち教職員だってウィルスをくっつけているかもしれないじゃないですか。そんなに怖いウィルスなのであれば、給食をやめて弁当にするか、給食そのものがない4時間で帰るかしなければいけなかったんです。

子どもたちも大人もみんなウィルスや細菌の中で生きているんだから、今まで通りおしゃべりをしなかったとしても、おかわりは自分でするというようにはできなかったんでしょうか。お前たちの体は汚れている、だから触るなと言われたみたいで子どもたちは傷ついたのです。

三つ目は話し合い活動です。

子どもたちが友達と話し合うのは自然な行動だと思いませんか。自分が考えていることを人に伝えたり、人の考えを聞いたりすることって、とても大事だと思うし、人間を理解する上で話し合うって事はなくてはならないものだと私は思っています。

ところがこれも禁止。

そもそも向かい合うことが罪悪のように言われました。教育は教師からの一方的な伝達のみとなりました。教師と子どもは向き合っています。

しかし子どものつばが汚くて教師のつばは清潔なんだそうです。いや、だれもそんなこと言っていません。でもそう解釈する子どもがいても不思議ではないでしょう。子どもは言葉では理解しません。 現在の状況を見て直感的に理解します。「あー俺たちのつばは汚れているんだ」と。

ここまで徹底的に子どもを汚れとみなす教育を私は否定します。もしかしたら私は抗議するつもりで辞職するのかもしれません。私が辞職することで問題提起になれば私は本望です。

そして「君たちは悪くない」「君たちは汚れていない」そう伝えることがの使命なのかもしれないと思いました。

コ◯ナ騒動が一刻も早く終わりますように。そしてこの騒動に二度と学校が巻き込まれませんように。

子どもたちの皆さん、君たちには希望が詰まっています。日本の未来なんです。世界に羽ばたいてください。